一般的には、英語学校や大手英会話スクールなどのグループのクラスでは(通ったことがあるのは子供の頃のL&L教室くらい、それもほんのちょっと)レッスン中に出会った生徒同士(お客)が次のレッスン以降も継続的に参加したとしても、少人数であったり力量が横並び(もともとそのように割り当てられる)であったりして、自分の成長が講師(というより、スクールの方針)の都合によっていかようにも‘成長度が放置’されうる、という状況には、見事なまでの‘接客で’気付きづらいのではないか、と想像されます。
他方、升砲館では、諸先輩方のハイレベルな稽古がどんな新人にもたちどころに目の当たりになることから、上記のような横割りのスクールではきっと感じることができないであろう上達へ向けての(適度の)緊張感と目標とできる(諸先輩の姿に自らの将来を照らす)高揚感を随時随所に感じて稽古を通じて自らのを向上に向けて励めることが、道場形式の私にとってのひとつの効果であると思っています。
升砲館でハイレベルの稽古をいとも簡単にこなす諸先輩方の姿のうちにあって自らの‘赤子同然以下’の稽古であっても、Shawn やVickyをはじめ全ての門下生が個々人の現況や成長を受けとめ互いに英語話者であろうとする空気は、(私のような)入門生のマインドセットを‘これから英語を話していこうする子ども’のような心境へ容易に導いています。中学生から始まる学校英語教育では習得不可能な過程を今得ているその環境の中に身を置いていると感じずにはいられません。
月に1度のSPEのセッションの合間には、それでもさまざま‘(従前、既存の)英語学習’の手法や考え方が首をもたげてきます。
升砲館に入門前にあれやこれやと手を出そうとしていた学習教材や学習方法などがそれです。しかし、これまでのエッセイでもふれたとおり、それは封印。なぜなら「喋れる自分を一から作る」ためにも「今の自分を延長するな」と自分に言い聞かせています。
通勤で使用する路線は、国際空港乗り入れ路線で多くの外国人旅行者を見かけます。
もちろん乗換に困ってそうな人も見かけますが、そこで何気なく‘それまでの自分の日本人英語学習者’のような思考で「困っていそうな人発見」→「日本語で案内対応を検討」→「英文でのやり取りのパターンを作成」「さらに、ためらいも起こる」→そのうちその人が自分で解決、のパターンを繰り返します。つまり、目の前で起こっている事態に追いつかないのです。
スピーキングのクラスでは、ここ数回、身体を動かしながらフレーズを発するレッスンがあります。それは単に1人でできる内容というよりもわいわいと盛り上がりながら、余計な思考を挟まずに身体の中から出てくる言葉を発するというもの。
そういう感覚で発した言葉が周囲の門下生からフィードバックされ、私はこのセッションで、ようやく‘自分の考えて、準備して、納得して’はした言葉が「不自然」「自然でない」、そしてとっさに出てきたフレーズが「自然である」「自然に聞こえる」そして「楽に自分の内から出てくる(言える、言えている)」ということを知りました。
これは、机の前に座って外国人英語講師の言葉をリピートしたり、少人数のクラスで準備した言葉を使ってみるということでは、今生では得られなかったことではないかと思います。
Ananはボキャ貧のため、ただでさえ言葉が出てこないことから、毎回のスピーキングでは気が重くなりがちで(雰囲気を壊しているという自責あり。)したが、毎回Shawnからその時の(道具)レベルで応答可能なフレーズやフィードバックをくださることで、‘それまでの中途半端な日本人英語学習者が背伸びをして発しているフレーズの延長’ではなく‘語彙は少なくとも、喋れるじぶんを文字通り一から作る’過程にいるのだという、内側からのメッセージに気づくことがあります。
最初は、それも、従前の自分からそれではダメだ(もっと、知識を動員して!)と意識づけられることもままありましたが、毎回のスピーキングで培える積み重ねで、Shawnのご指導に文字通り導かれて、英語話者としての赤子同然以下からのスタートを漸く切っているという自覚を持つようになりつつあります。つまり、前回のナレッジパワーレクチャーの「2」の自分(道具に使われていない自分)に気付きそこから歩を進めていくことができます。
今回のマスターコースは、これからの私の英語人生にとって、スタートラインの手前に着くための時間であるようにも思えます、そこには、ShawnやVickyを始めとする升砲館の諸先輩門下生の皆さん(もちろん、事務局の‘あきさん’や‘Hiroki’も)の導きによるものと思われます。
道場形式であることから、そこに身をおくことで、道を先に進む者に年齢は然程関係なく、謙虚に先に進む人から、そして周囲の人から学ぶことが大切かということを自然に思うことができます。
9月からは東京SPE7期生や京都SPEからも門下生が加わり、また多くの人々で多様に学びを広げていくことができるのだろうと思います。
道場ということばは、実は‘仏教’と深い関係があります。仏教で道場という場合は、ブッダが覚りを開き成道するまで修行をしていた(すべての)場所を道場と言います。そして、覚りをめざして修行する場所を道場というようになりました。
また、仏教では「自分のいるところが道場である」という言葉もあります。
升砲館門下生にとって、ShawnやVickyのご指南が門下生にいきわたり、多くの門下生が英語話者の覚り(!)を開いていく‘道場’がまさに升砲館のマスターコースであり、セッションであり、オンラインや門下生一人ひとりの日常の稽古の場(ひとりVPSも!)であると思います。
英語学校には卒業がありますが、英語道場はまさに、人間性たる覚りを目指して楽しい猛稽古をする、我々のいる発音道場升砲館そのものなのではないかと思います!!